おはようございます。今週土曜日は保育園の運動会なのですが、天気予報は絶賛雨模様で心配している、モリタシです。
Amazonが便利なサービスを検討中だそうです。
米国では受取人が不在の場合、いわゆる置き配をすることがよくあるそうです。
置き配とは
受取人が不在の場合、あらかじめ受取人が指定した玄関先などに荷物を置くことで配達を完了するサービス。近年、再配達にかかるコスト削減のため、正規のサービスとして導入する業者がふえている。
私がかつて住んでいた欧州の国でも当たり前のように行われていました。集合住宅ばかりに住んでいたのですが、玄関のドアの前に荷物が置いてあるという光景は全くの日常でした。
欧米が舞台の映画でも目にする機会がありますが、集合住宅の入り口に部屋それぞれへのブザーが付いており、建物自体の玄関はオートロックになっていました。そのオートロックは住人の誰かに開けてもらわなくてはなりません。
基本的には自分が訪問するであろう相手が開けてくれるのですが、これがわりと他の住人も開けてくれるのです。
私が住んでいた古い集合住宅は第二次世界大戦以前に建てられたものでした。したがって日本のオートロックと違い、カメラが付いているわけではありません。知らない人だし顔は見えないし、しかも外国人(私)だし。でも開けてくれるという、その関係性に不思議な距離感を感じたものです。日本では感じることのなかった感覚でした。
信頼という名の距離感
考えてみたのですが、そこには”信頼”があるのだろうなという結論でした。お互いに見ず知らずの間柄で関係性はなかったとしても、信頼だけはその二人の間のどっちの人により近いのか、真ん中なのかはわからないのですが、両者の間にポツンとある、というような。
受取人が不在の場合、玄関先に荷物を置いていく事にも同じような感覚を覚えました。
なぜ日本では成立しないのでしょうか。一言で表すなら、文化、ということなのでしょう。島国と大陸との違いといいましょうか、人と同じことが前提である文化と人と異なることが前提である文化といいましょうか。この距離感は血なんだろうと感じます。
日本で展開するのなら
Amazonが再配達のコストを削りたいのは当然です。配達する人にとっても、受け取る人にとってもメリットがあります。
しかしワンタイムパスワードを使って家の中に運び入れてくれる、あるいは車のトランクに入れてくれる、そのどちらも日本向きではないような気がします。かといって屋外にある程度の大きさの荷物が入るようなポストとなると、それなりのサイズになるでしょう。物理的にも経済的にもハードルが高いように思えます。
コンビニとタイアップして、コンビニに無人の預かりボックスを併設する、という現在のサービスの延長が、配達する人にも受け取る人にも、そしてコンビニにもメリットがあるのではないかと私は考えます。
さてさて本日最後に、「米国四季報2017年秋冬号」が昨晩届きました。楽しみにしていましたのでじっくり読んでいきたいと思います。
ではでは、また。
米国会社四季報 2017年秋冬号 2017年 10/18 号 [雑誌]: 週刊東洋経済 増刊
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