サラリーマンモリタシの年収250万円でもできる資産運用

年収250万円のサラリーマンです。少ない年収でも可能な資産運用について勉強しながら実践しています。

進学と仕事と人生

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おはようございます。11月にも入り、発泡酒よりも焼酎のお湯割りがすすむようになりました、モリタシです。

 

今朝はこんな記事を見つけました。

 

toyokeizai.net


少子化に伴い大学全入時代と言われて久しいですが、そもそも大学に行くことに対する価値とはどんなものでしょうか。

 

就職のため

大卒でなければ就職が厳しい職業はたしかにあります。だからといってどんな大学を卒業してもそのような職種に就くことができるのかといえば、答えはおそらくNOでしょう。

 

単に”職に就く”ということを目的とした場合、記事にあるような教育困難大学へ進学するよりも、専門学校へ進学したほうがかける時間とお金と結果のバランスが遥かに優れていると私は考えます。

 

一方で、就職だけでは比べることができないことも事実です。専門学校と四年制大学を比較した場合、四年制大学のほうが自分の裁量で過ごし方を決めることができる時間が多いと思われます。この自由な時間は高校生までの生活にはなかった大きな違いです。

 

この自由な時間を使って”自分を追求していく時間”を持てる機会は、人生の中でもなかなかありません。仕事をリタイアした後にもその機会を持つことはできると思いますが、リタイア後と就職前ではその重要性はまったく違います。残された時間が圧倒的に違うのです。

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人生とはなんぞや

10代後半から20代で初めて就職を考えた頃と、10年、20年働いてきている中では仕事観が多くの人にとって違うものになるでしょう。就職して経験する出来事の内容の質と量は、恐らく就職前には想像もできないことばかりです。想像できていたことも実感を伴うとまた違った受け止め方になることも多いでしょう。

 

最終的には”自分がどんな生き方をしたいのか”というところに行き着くのでしょうが、それを探すことそれ自体が人生なのかもしれません。仕事だけ、プライベートだけ、自分だけ、家族だけ、なかなかそうシンプルにはいかないことも、私は多かったです。要はバランスなのでしょうが、その重心をみつけるのも、これまたなかなかに時間がかかりますし痛い思いをすることもあります。

 

結論は出ませんが

冒頭に話を戻しますと、どんな環境でも自分を活かすことができるかどうかは本人次第だと私は考えます。それがたとえ教育困難大学だったとしてもです。しかし自分を活かせる人はそもそも教育困難な大学へは進学しないようにも思います。

 

話が少々大きくなってしまいました。私は"自分で何をしたいのか意識して日々を過ごす"ことを大事にしています。あなたが日々を過ごす上で大事にされていることはなんでしょうか?

 

ではでは、また。

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