サラリーマンモリタシの年収250万円でもできる資産運用

年収250万円のサラリーマンです。少ない年収でも可能な資産運用について勉強しながら実践しています。

投資対象としてみた日本

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10年前と比べても遥かに多様な生き方が実現しやすくなったように感じます。これは多種多様な生き方の社会的認知度、そして許容度といったものも上がっているからではないでしょうか。週に3日、ないしは4日だけ働くことを前提としたライフスタイルで、シェアハウスなどで家賃のコストを下げ、交友関係は極力少なく、食事はインスタントラーメンやコンビニ弁当、そのかわり趣味はそこそこ力を入れて、といった話をわりと目にします。

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ライフスタイル自体は誰かと比べるべきものでもないし、人に迷惑をかけなければどうこういわれる筋合いもない。自分のやりたいことをやり、生きたいように生きる。私もどちらかと言えばそういうタイプです。飾った言い方をすれば、自分の夢を追いかけていた20代でした。そのため初めて正社員として就職したのは30歳になった年だったのです。

 

仮にお金が無いなら無いなりに生活していくのはごく自然なことだと思います。しかし例えばアジアの新興国で生を受け、貧しいために節約して生活するのと、日本に生まれ収入が少ないために節約するのとを比べたときに、私個人的には日の出と日の入りくらいの強烈な違いを感じずにはいられません。”いずれは何かを掴んでみたい人々”と、”今の状況を保ち続けたい人々”の間にある、熱量の違い、とでもいいましょうか。

 

成熟した国がもたらすもの

物質的に豊かで、国民皆保険もあり、本当に窮している場合には生活保護などのセーフティネットも名ばかりではなく実際に利用することができ、仕事を斡旋してくれる公的な機関もあれば、有効求人倍率はバブル期を抜いている。端的にいうと現在の日本はこういう国です。

 

自分のライフスタイルを優先し、仕事を選ぶ。生き方のためなら多少収入が少なくても、”不足する分を稼ごう”、とはならず、”何かを削ろう”。個々人の生きたい生き方をそれぞれが見つけることができ、更には実現できる。これはとても素晴らしいことであり、成熟した国のもたらす恵みなのかもしれません。

 

しかしこと経済的な発展という側面から考えると、一抹の不安がよぎります。”お金を稼ごうという熱量がなくても生きていける国”が経済的に発展していくのかという不安です。

 

しばらく前から”日本に残された最後のフロンティア”といった趣で、”観光立国日本”が推進されています。これはもはや内需が当てにはならないという危機感から、外需を頼りにしている一面なのでは、と勘ぐってしまいます。

 

仮にそうだとすると、円安はもはや国策ともいえます。なぜなら外国人旅行者が自国の通貨で円を買うなら、安いほうがより多く円を買ってもらえるからです。

 

人口の減少などだけではなく、いわば現在の日本の空気感、私はここに大きな不安を覚えるが故に、私にとって日本は長い目で見た場合、投資対象にはならないのです。

 

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